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アルジャーノンはねずみさん/Flowers for Algernon [イベントレポと感想文report&review]

リラックマのおとものおもちゃ、ピカチュウときて、またねずみの話。
今日の主役ねずみは脳の手術によって天才となったねずみ、アルジャーノン。原作は短編小説だったようですが作者によって長編に書き直され、翻訳版は20年ほど前に日本でも大ベストセラーとなった記憶があります。BOWWYのひとが歌のモチーフにしていたり。ドラマ映画と何度も繰り返しちがう媒体で表現されてきた名作ですが、魔めは原作小説を読んだことはありません。お芝居は昔見た記憶があるのですが、もうあらすじを一行でかけるほどしか覚えていません。
本多劇場は前方の座席に傾斜が少なくて見づらいところもあるのだけれど、鉄パイプを組み上げてつくった装置と相俟って舞台を見上げるような形になるのがかえってこの戯曲を見るのには効果的でした。ファンタジーの世界観に参加する感覚にさせられました。

ファンタジー?この本が流行った頃にはまだぎりぎりリアリティを持っていた"脳の手術でIQを高める実験""万能の天才を人工的に作り出しよりいい人生を手に入れる"という物語のお膳立てが、少なくとも魔めの中では(ぬいぐるみながらblogを口述筆記している魔めが言うのもなんなんですが)SFの枠組みの中でさえむなしいものとなってしまった現在、その世界観に入るまでに多少の戸惑いがありました。しかしながら、始めのうちこそいまここでこの戯曲をやる意味、見る意味はなんなのだろうということを考え、なにか普遍的な根底的なものを訴えたいのだと思い、それを必死で探そうと試み、これは60s'-70s'のアメリカを舞台に置いたファンタジーなのだからと自分に言い聞かせることで、この戸惑いを解決しようともしましたが、だからこそ最終的にはお芝居の力にしてやられたというか、いつの間にかそんなのはどうでも良くてただ目の前の出来事を一緒に感じて考えることに集中していました。

アルジャーノンのパートナーにして物語の主人公、チャーリーの変化によって周りの人々は変わったのでしょうか。仕事仲間たちは最初の白痴といわれた頃と、元に戻った後と、変わったのか変わらないのか。どちらにも取れるし、ドラマはあえてはっきりは描いていません。もしかしたら、チャーリーの心の変化がそう見せるだけ、周りの反応もすべてチャーリーの感じ方しだいなのかもしれない。結局人間の心は迷路をさまよい続けて、その道程を少しづつ受け入れていくしかできないのかもしれない。自分の身に起こった実験結果をまとめようとしたチャーリーがキニアン先生とさよならしたのはそこに気がついたからじゃないかな。こういうことを言うとセカイ系?みたいだけれどね。
知能を得たチャーリーが迷路の出口探しの途中で家族に会いに行く場面は、お父さんの残酷なまでの気づかなさが胸に痛かった。お父さんにとっては20年前にもうチャーリーは居なくなったものだったのかもしれない。そうすることでやっと生きてこられた厳しい一面。これは戦争の記憶を持っている人にはより苦しいけれど、深く理解できる一節かも。意識朦朧としたお母さんにナイフを突きつけられそうになったとき、止める妹に対してチャーリーは言った「いいよ、自分が何をしているかわかってないんだ」。チャーリーはイエス様になぞらえられていたのかな。神は自分の脚でさんざん歩いて迷い果てた先の迷路のなかにようやく、それも運がよければ出会える程度のものなのかもしれないと、きっといまのこの空気の中で生きるひとびとは感づいている。だから逆に神様大安売りのオカルト風バラエティー人生相談がはやるのかもしれないや。あれ、脱線してしまいました。そんな台詞はあったものの演出家はチャーリー=神とは決して言わないようにしている。むしろ唯の人であることにこそ彼のほしいものがあるんじゃないか、と思わせようとしているみたい。
雨の中の別れのシーンで、キニアン先生の横顔がきれいだったな。
演出と出演者のアンサンブルの効果がすごかった。観客みんな、それこそさっき言ったような戸惑いを抱えていた魔めでさえ、巻き込んでひとつのものを作り上げていく力を持っていたよ。
Both Rilakkuma's friend toy and Pikachu, we picked up mice in recent entries and I, Mametan would like to talk about the mouse again.
Today's leading role, a mouse became the genius by the brain operation named Algernon, is a character in the novel written by Daniel Keyes. The original novel was a short story, but it is rewritten in a long piece by the author and the translated edition became a best seller in Japan about 20 years ago so much that a famous rock star makes it the motif of his song. This is a masterpiece which had been translated in various mediums repeatedly like TV dramas movies, but I has not read original novel. My knowledge about the story is merely the outline which I can express in one phrase from the old memory of the play I looked at.
Because of slight slant, it is a little hard to watch the stage at the forward seat in Honda Theater but it was effective to involve the audience which was gotten to look up at the stage. With built cosh stage set, I could make myself a participant of this fantasy.
Fantasy? The factors of the story like "making almighty genius artificially" "to raise IQ through the brain operation" had last-time reality 15 years ago, but now in 21th Century these slogans sound empty even in SF frame at least in my point of view (of course I know that I myself is a fantasy villager too - I dictate this blog in spite of a stuffed toy!). I felt reluctant to enter the world of the story at the beginning of the play. I started search for the meaning to play and watch this drama in this time with my thought that the director should have intention to show the universal theme I wanted to find or I tried to solve this embarrassment by the thought that this is a impossible fantasy story based in 60s-70s U.S.A., and finally I could realize that the power of the live play composed of live actors and live staffs is so strong that it makes me release that embarrassment naturally during the play and just concentrate on the thing I was looking at and listening to.

劇団昴 アルジャーノンに花束を
ダニエルキイス原作 菊池准脚色 三輪えり花演出
本多劇場

by 魔めたん


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